――柴さんは『御前会議』の演出も手掛けていますが、オリザさんの作品を演出する時に、“青年団イズム”的なものを感じることはありますか?
柴:ありますよ。『御前会議』の時に思ったんですけど、オリザさん作品を素直に演出するのはちょっと自信があります(笑)なんだかやりやすいです、僕は。一読しただけではどこがおかしいか分からないけど、いろいろギャグが多いと思うんですよ、オリザさんの本て。その笑いの部分を面白く見せるのは『御前会議』の時にうまくいったと思ってて、そこが演出してて面白いし、相性がいいんだと思います。あとワークショップでよく『隣にいても一人』を使うんですけど、あれも面白いと思いますね。俳優が生きるっていうか、あんまり狙ってやるとダメで、むしろさらっと演じられる人がきちんと演じると面白くなる感じで。ある意味、前田(司郎)さんの本と似ているなと思っていて、だから僕は、前田さんの本とオリザさんの本は、同じ感覚で捉えてたりします。
――また、この作品はベルリンの壁崩壊が重要なテーマとして出てきます。柴さんは当時6、7歳ですよね。ベルリンの壁崩壊について、リアルな記憶がありますか?
柴:いやいや、なんとなくニュースの映像とかのイメージはありますけど、全然実感を伴った記憶はないですね。意味も分かってなかったです。
――ベルリンの壁について、土井さん、龍さんと何かお話はしましたか?
柴:ちょっとしました。実際に土井さんは、壁を見に行ったって言ってました。それも崩壊する前じゃないかな。銃を持ってる人がいたって話を聞いて、へえーって。
――今回の演出では、ベルリンの壁をどのくらい意識させるのでしょうか。
柴:割と打ち出したいと思っていて。ちょうど今、世界情勢や政治に興味があるんです。これまでは特に興味もなかったし、明るくもなかったんですけど、だからこそどうなんだろう? 自分がやるとしたらどういう戯曲になるんだろう?ってことを考えてて。政治的な芝居っていうのも大分なくなったし、やりづらくもなっているんだろうけど、ちょうど前回星の話もやったし、そうしたら国とか世界とかってどうなんだろうと思い始めて。世界といっても、「私の世界」っていう、私の目から認識した世界ってことじゃなくて、本当に国の集合体としての世界。今回、そこは無視せずに取り組みたいなと思ってます。
――何かに置き換えたりせず、ベルリンの壁ということを分からせるようにするんですか?
柴:そうですね。戯曲があまり史実的なことや事件背景を情報として出さず、ほのめかす部分が多いので、むしろベルリンの壁が崩壊してから20年後だということを、観る人にはちゃんと伝えたいっていうのはありますね。その辺りを、僕が冒頭部分に加えるようになると思うんですけど。
――世界に対する関心、というのはいつごろからあったんですか?
柴:ずっと興味はあったんですけど、題材としてやるには難しいなと思ってて。というのは、今、誰でも当たり前に、歴史を一方向的に表現しても仕方ないと認識してますよね。ある事件や問題について何か強く考えを打ち出すには、いろんな立場に立って、ちゃんと資料を調べなくちゃ迂闊な発言ができないし、責任を持って書けない。それが大変そうでちょっと尻込みしてたんですけど……でも例えば、パラドックス定数の『東京裁判』は、史実をもとにしているけれどエンターテインメントになっていて面白かったし、そういう作品を自分もやりたいと思って。史実をもとにするかは分からないですけど、風俗的な社会性というよりは事件性とか、政治的な社会性を帯びた作品をやりたいな、と。あと「キレなかった14才♥りたーんず」(今年4月に行なわれた、柴と同年代の演出家6人による6作品連続上演企画)をやった時に、篠田(千明)さんが「社会のことがよく分からない、だからこそ社会に関係するようなものがつくりたい」って話をしていて。その時に社会と一緒に政治って言葉を使ってたと思うんだよなあ。もしかしたら僕が勝手に頭の中で使ってただけかもしれないけど。でもあの時、「確かに政治ってよく分からないよな、だから扱ってみたい題材ではあるな」と思って。だから、1、2年前からですかね、世界とか政治に興味を持ち始めたのは。世界情勢がそのまま出てくるとか、歴史的事件をもとにして書くっていうのとは違うアプローチがあるんじゃないかと思っていて、それが見つかったら僕なりの、今の時代だからこその政治劇ができるんじゃないかと思ってるんですけど……。
――そういう意味でも、『チャイニーズスープ』の演出は刺激になりそうですね。
柴:そうですね。オリザさんの作品をまた演出できるのは、次に書く時に糧にもなりますし、いろいろと考えるきっかけになったと思います。
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